まずは、ヨーロッパツアー中に届いたメールを紹介させて頂きます。(送り主のプライバシーに関わる内容部分などは省略させて頂いております。)
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MOEへ頂いた手紙より
〜略〜
日本語はまだ下手なので、間違いいっぱいあったら、許してください。例えば、このメールをしてる時、敬語を使った方がいいかどうかわからないから、もし失礼だったら、ごめんなさい。
〜略〜
とにかく、長い話を始めましょう。SOFTBALLを聞きながらゆっくり書こう。
僕はアメリカで生まれて、12歳の頃までに、他の国の文化や習慣など全然知らなかった。ある日、学校で日本の勉強を初めた。「面白いな」と僕は思っていた。違うから、面白かった。生まれた時から日本の勉強を始めた時まで、僕の人生のことや物など、全部は同じで、ちょっとつまらないと僕が思っていた。だから、日本を勉強して、僕の世界が広くなったのだ。やっぱり違うものを勉強してると、自分のこともっとわかる。暗さがないと、明るさもないと思う。それで、もっともっと興味があって、毎日学校でも、家でも、日本の文化やを勉強していた。
学校ではないことも勉強していた。ついに、ネットを使って日本の音楽を聞いて始めた。
〜略〜
完璧に思い出せないけれど、僕がSOFTBALLを発見したのは14歳の頃と思う。ワラワベを見て、本当に感動していた。もちろんあの時日本語はまだ勉強してなくて、歌詞はわからなくて、ビデオを見てた。他のビデオと全然違うと僕は思っていた。
〜略〜
若くて、女の子で、パンクロックを引いて、心で歌っていた。歌詞わからなくても、ビデオが終わった時、僕はもう決めた。これは一番大好きなバンドだ。ネットで、バイトのお金で、アジアからSoftballのワラワベとLAMPを買って貰った。素晴らしくて、日本語の勉強を始めた。
あの時から生活は大変になった。残念ながら、僕が日本が好きだったのはひ一人のことだったのだ。それに、病気で顔は非常に赤くて、ピザのように油があったのだ。笑顔も悪いから、歯医者は七年ぐらい歯だけではなくて、顔の上にもたくさん鉄を乗せた。自信はなかったのだ。それ以上に、一人で日本の興味があったから、他人にしかられることは簡単だった。「変な人だね」とよく皆に言われた。「あの子は白人で、日本が大好きで、日本語の女の人のパンクロックをいつも聞いてる。わからないのに。きもいね。」両親にも、兄にも、よく言われた。「自分の国の音楽を聞きなさい」と言っていた。「その代わりに、自分の国のことを勉強しなさい」と言っていた。学校にいる名前は「おたく」か「日本人になりたい子」。友達でも、「他のことを勉強した方がいいよ、ちょっと変かもね」と言っていた。高校の新聞に、「この日とは自分のことわからない」と書いてあったのだ。3、4年ぐらいそれは僕の人生の現実だったのだ。
それなのに、SOFTBALLのおかげで生きられた。暗い世界に、SOFTBALLは僕の光だった。毎日寂しくて泣きたかったけれど、その代わりに笑った。笑わせたのはSOFTBALLの音楽だ。3年ぐらい毎日聞いていた。シングルもアルバムも全部買ってしまった。聞きながら一人で、自分の部屋で日本語を勉強していた。それに、しかられても、自分の生活好きだった。
今20歳で、慶応大学で留学生をしているのだ。なんであの時日本の興味があるのは変なのか?今までもわからない。違うから皆は恐いかもしれない。両親は大事な息子は違う国に行くのは恐いかもしれない。しかしあの時僕はもうわかっていた。「日本語を勉強をする理由は面白いからだ。SOFTBALLをいつも聞いてる理由は素晴らしいからだ。」英語でも歌詞は美しくて、大切だと思っていた。心で歌ってるし。
僕が生きたかった理由はSOFTBALLの音楽を聞きたいことだったのだ。本当に、だれにでも何でも言われても、説明ができなっかたけれど、あの音楽素晴らしいから大丈夫だった。帰る途中で寂しいバスを降りて、「とこしえに」を何回も繰り返して歩きながら闇に降る雨で聞いて、笑顔をして、生きた。
〜略〜
今頃、1000人ぐらいが僕のサイトに来て、読んだり、話したりしてる。それで、僕は他人に自信があげられるのは本当に嬉しいのだ。もういちどう泣きたくなったのだ。しかし、この時泣きたいのは、いいことなので、笑いながら自由に泣ける。今泣かせているのは昔のSOFTBALLだ。もしSOFTBALLはなかったら僕の人生は全然違うかもしれない。ここに引っ張ったのはSOFTBALLのおかげだ。
今日ネットでサーフをしてる時、知らなかった秋茜のビデオを見つけて、そしてmyspaceも見つけた。見つけてから、大変な時を思い出した。思い出してから、このメールをやっと書かなければならならないと僕は思ってた。
僕の心に、SOFTBALLの思い出すことはいつも光ってる。
ですから、全部、本当にありがとうございました。
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今でもこの様なメールや手紙を頂く。
そしてツアー先などでも、SOFTBALLの事について話しかけられることもある。
MOEは現在「秋茜-AKIAKANE-」というバンドをやっている。そして僕もその「秋茜-AKIAKANE-」のマネージメントをしている。
でも、みんなの中の「SOFTBALL」って、バンドは解散しているけれど、その「SOFTBALL」の存在が、過去から今へ心の中で繋がっていると思う。
バンドっていう形態は存在しないけれど、全てが「無」にはなっていない。
そして、関東近辺では「秋茜-AKIAKANE-」っていうバンドとしての認識も可能かもしれないけれど、SOFTBALLでもあまり訪れていなかった地方に行くと「SOFTBALL」のMOEと「秋茜-AKIAKANE-」のMOEと、両方を受け止めて出逢いを喜んでくれる人達が待っている。
「秋茜-AKIAKANE-のMOEです!」って自らが言ったところで、受け止める側の「SOFTBALLのMOE」像を全て消し去れることでもない。
これは今の秋茜がSOFTBALLの曲を演奏しようがしまいが、MOEという人間はひとりの同一の人間なんだから、受け取る人達がどの時期のその歴史に深く触れたかでその想いは変わってくる。
バンドが解散してそこで全てを封印してしまう人達もいる。解散しても新たな形で昔の曲を演奏する人達もいる。
バンドって形態はメンバーがいて、そのメンバーと共に築いてきたバンドの形があって。でもそこには、メンバーなりのバランスがあって、受け取り側にはあまり関係なく、その音楽がそこで終わってしまったりもする。
ひとつのバンドが終わってしまうって事は、それはそれぞれの事情もあっての事だから、それは別に悪いことではないと思う。
もう絶対に演奏しないって封印してしまう人達がいてもそれはそれで良いと思う。
数年前に、ジョー・ストラマーが亡くなってから「JOE STRUMMER & THE MESCALEROS」の映像を見た時があった…。
http://jp.youtube.com/watch?v=VrlDMGHsoz0&feature=related曲の後半から涙が出そうになった…。
それはそれまで、自分自身の中にジョー・ストラマーという存在が「THE CLASHのJOE STRUMMER」しか認めていなかった自分がいて、そのJOEがTHE MESCALEROSというメンバーに支えられて、THE CLASHの曲を歌っている。
確かにその時のJOEは、CLASHの時の若さは無いし、声だってそう張れてないかもしれない。でもそこで輝いているJOEが生きていて、彼の人生の1ページがそこにはあったんだ。
バンドが解散すれば次にやるバンドは前のバンドを超えるのが目標であろう。でも、それは自分自身のバンドであれば、その過去の自分自身を超えるのが目標なのであろうけれど、でも「過去の自分」というものは決して消し去ることの出来ない現在進行形の「自分自身の歴史」でもある。
それが自分自身の人生のウエイトがそこにあればあるほど、その経歴は消すことが出来ない。だから、その歴史を自分は無理に否定せずに、その人の「一生に一度の人生のページ」なのだと思うようになった。
JOEがTHE MESCALEROSと昔の曲を演奏している姿を見て、それをもう否定なんて出来ない。
それは、JOEがこの世に存在した歴史には変わりないんだから…。
先週、僕の祖母が急に亡くなった。42年間の一緒の人生だったけれど何だか人間の一生って短いんだなぁって感じた。
42年って長いって感じるだろうけれど、一緒に住んでいたわけではなかったし、子供の頃からの思い出も断片的なんで、その「良い思い出」って時間にまとめると凄く短く感じて、それはこの先もずっと永遠に続くものじゃないんだなぁって思って…。もう、おばあちゃんとの思い出は過去のものだけになってしまった。
その人の歴史って、他人がとやかく言って消せるものではないと思う。
それが自分の身近なものであれば、それは大切にしていくべきだし、それはこの世に生きている証として伝えていっても良いと思う。
そして先祖が残していった証も…。
2008年1月5日 秋茜-AKIAKANE-/とこしえに